家紋-丸に抱き沢瀉

年末に氏神神社にお礼参りに行った際、ご先祖様のお墓参りもさせていただきました。

先祖代々のお墓には、それぞれ同じ家紋があるわけで、家紋の由来などを調べてみました。

目次

家紋とは

家紋はそれぞれの家の紋章で、自分から意味合いを付けて使い始めたり、目上の貴人などから送られることもあったようです。

我が家では、端午の節句の鎧兜の飾り台に付けたり、着物に入っていたり、お墓にも、もちろん入っていました。

ただ、普段から目にするものでもないので、その意味合いを調べていくと興味深いです。

丸に抱き沢瀉

我が吉田家の家紋は「丸に抱き沢瀉」という家紋です。

沢瀉は、水田や湿地に生える水生植物で、葉っぱの形が矢じりに似ていることから、勝負運のよい勝ち草などと言われていたようです。

沢瀉紋は10大家紋に入り、縁起を担ぐ武将たちに人気があったらしい。

沢瀉紋を使っていた有名人は、毛利家、羽柴家、水野家などがいて、やっぱり武将が多いですね。

参考:沢瀉紋 -武人の心に芽生えた一時の優しさを表す紋-

水田に生える草なので、農家も使っていたことも多いよう。

自分の吉田の吉は、土に口だと農民出身、士に口だと武家出身という説もあるのですが、うちは土に口なので農家だった可能性も捨てきれず、どのようなルーツだったのか、推測することは難しい。

ただ、分かっていることは、江戸時代あたりにいたご先祖様のお墓に入っているということ。

自分のルーツとして大切に使っていきたいと思います。

ブログのロゴに

まずは、ブログのロゴに家紋を入れてみたら、どうなるだろうと思って試してみたら、意外と馴染んでいる気が。

WordPressのTwenty Seventeenのヘッダーメディアをオフにして、家紋を入れただけなのですが、シンプルだけど落ち着きます。

ブログを再開したので、一からテンプレートをカスタマイズしたいところですが、Twenty Seventeenのシンプルさを活かせる気がします。

まとめ

それぞれの家に受け継がれている家紋ですが、なかなか使う機会がありません。

個人ブログや個人の名刺など使うと、ご先祖様とのご縁が深められるかも。

お墓参りに行った際にでも、家紋について調べてみるのもオススメです。

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この記事を書いた人

ホームページの専門家。有限会社TY Planning取締役ウェブコンサルタント/ウェブデベロッパー/専門学校講師/上級ウェブ解析士。

2001年からウェブ業界に携わり、2002年に独立。2006年法人化。
ウェブデザインやコーディング、CMSなどの制作業務から、ウェブ解析、ウェブサイト構築・運用のコンサルテーション、広告運用代行など、ウェブに関する多様な要望に幅広く対応。
また、制作や集客だけではなく、運用・保守など全ての業務を俯瞰した視点での改善提案やアドバイザリーを行っています。
CSS NiteやWordCamp、BAU-YAなどのセミナーやイベントにも、多数登壇。企業研修やマンツーマンレッスン、ブログやSNS、YouTubeでの情報発信など、「ウェブを育てる」知識の教育活動にも意欲的に参加しています。

コメント

コメント一覧 (4件)

  • 我が家の家紋も「丸に抱き沢瀉」です。
    仏壇にある過去帳には、ご先祖の記録だ書かれていますが、
    文字が薄れて、草書体のようで読み取れないものもあります。
    「大石」という苗字もあって、どこかの代で今の名字に改名した
    と父から聞いたことがありました。
     ご先祖の想いを大事に受け継いでいきたいと思っています。
     

    • 過去帳ですか。
      今度、実家に帰った際に見てみたいです。
      どこかの代で家紋を決めたんですよね。

      どんな想いか、想像しか出来ませんが、大切にしたいですね。

  • 我が家も抱き沢瀉です。父が言うには7代続いた庄屋で、家が本家だそうです。吉田城主に、お茶を差し上げたそうです。苗字の蔭山を調べたら、豊橋には120人、姫路は650人ほどいるとか。我が家の石塔は、檀家さんにいわせると
    関ケ原の合戦のものとかです。
    他にも慶長、文政の石塔もあります。

    • 吉田城というお城があるのを初めて知りました。何か繋がりがありそうですね。

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